Monday 14 January 2013

赤ちゃんという生き物

ほんの数週間前まで、愛彩が欲しいものといえばおっぱい、おっぱい、またおっぱいでした。愛彩は生まれつき泣き虫ではなくおしゃべりなようで、愛彩がおっぱいが欲しい時は泣かなくても顔を見ればすぐにわかりました。乳首を探して目はキョロキョロ。手足をバタバタさせてちょっと挙動不審ぎみ。口を池の鯉のようにパクパク。
おっぱいをやろうと抱き寄せて乳首を近づけると、さらに挙動不振になって、「池の鯉」の口をやりながら右に左にヘッドバンギング。
「だ〜か〜ら〜!乳首ここ!ここにあるでしょ?なんで反対方向を向くんですか?」と言いつつふくませると、「あった〜!!!!」と砂漠のオアシスの水を発見したかのようにゴクゴク。もうその様子は「ここ3日も水一滴飲んでねぇですだ〜。ありがてぇ〜。涙がでます。」と言ってる飢えた水飲み百姓のようでした。そして授乳しながら眠りかけている愛彩を乳首から離そうとすると、「ぜぇぇえーったい離すもんか〜!!」とばかりに目は半分しか開いてなくても必死に吸い付いてきました。これはもう、毎回そうでした。ついさっき授乳したのに?というタイミングでもそうでした。
マーティーいわく、「例えばさ、今まで授乳と授乳の間が最長1時間だったとして、今回が1時間10分だったら、『こんなに長いこと食べ物にありつけなかったのは生まれて初めてだ!』て思うんじゃない?実際そうだし」と。なるほど。

最近はおっぱい以外のことにも興味を覚え始めたようで、まだお腹がいっぱいになっていないのにお乳を飲むのを止めてキョロキョロし始めます。週末のランチにお友達とおしゃべりをしながらダラダラ食べている感じ。愛彩が「ちょっとブレイクしよ♡」と飲むのを止めた時に授乳終了と勘違いしてしまうと、愛彩は一日中ちゃんとご飯を食べずに間食ばかりしている状態になってしまうので、「はい、ブレイクしましたね?また飲んでください」とブレイクをはさみながらお腹がいっぱいになるまでお乳を飲ませるようにしています。お腹がいっぱいになってくると、愛彩の顔は酔っぱらいのおっさんのようになっていきます。さっきまでパッツパツだった頬の肉が、たれパンダのようにダラーンとなっていくのを見て、「このほっぺの肉は脂肪じゃなくて筋肉だったのか!」という衝撃を受けます。

愛彩の一挙一動に萌え、もだえ、感動・関心を繰り返すのは今も変わりません。それはマーティーも同じで、大きいウンチをした時などに、目を見つめ合い、手を取り合って喜んでいる、目を覆いたくなるようなバカップルです。
こういう気持ちは「親バカ」だからだと思っていたのですが、100パーセントそうでもないかもしれないと思えてきました。
赤ん坊は一人では生きていけないので、弱いと思われがちな生き物ですが、その生命力の強さと成長の早さは大人の何十倍、何百倍かもしれません。脳、内蔵のひとつひとつ、睫毛の一本一本に至まで、毎分毎秒ものすごい早さで成長しています。

幸福は道でも喜びでもなく、このことでもあのことでもなく、たんに成長である。
私達は成長している時こそ、幸福なのである。
ウィリアム・バトラー・イェイツ

愛彩は満面の笑顔で手脚をバタバタさせているのをみると、体中が「幸せそうだな〜」と思います。そして、実際本当に幸せなのだと思います。毎日が新しい発見でいっぱい。おっぱいを飲むのも、ウンチをするのも、遊ぶのも、眠るのも100パーセント全力投球。どんどん成長していく自分。こんなに充実した人生があろうかと思います。
抱いた時の体の重み。暖かさ。ミルクみたいなにおい。笑っている顔。真剣な顔。おしっこしている時のとぼけた顔。おっさんみたいな顔。手の動き。ぷくぷくのお尻や太もも。
マーティーと私がそんな愛彩にメロメロな理由のひとつは、赤ん坊の日々成長していく姿が本当に感動に値するものだからかもしれません。
愛彩がこんなに小さいのも今だけ。いつか終わるのを前提に盛り上がっている恋愛中のような切なさがあります(そんな恋愛をしたことはないんですけど)。順調に成長しているのが嬉しい反面、「大人にならないで〜」と思ってしまう自分もいます。困ったもんだ。




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