Monday 26 October 2015

いつもあせっている人

最近にや〜っと笑ったりするようになり母をキュンキュンさせている怜ですが、基本は挙動不審です。起きている時間のほとんど、手足をバタバタさせ息を切らしながら、何をそんなにあせっているんだろうと思うほど、あせっている動きをしています。よく鼻くそがつまるので、「はぁはぁ」という荒い息が、「フガッフゴッ」と豚の鳴き声のようになり、それに加えて例の「ぅうえぇぇ〜!ぉおえぇぇ〜!」というおっさん声を出すので、声だけ聞くとかなり不審な生き物に仕上がっております。

愛彩はもっとストレートに赤ちゃんっぽい動きと声をしていたので、「マーティー、この子の動き不審すぎない?大丈夫かな?発達障害とかじゃないよね?」などと言っては夫の失笑をかっています。

さらには、よくオナラをする怜。焦っているときも、笑っているときも、泣いているときも、なにかのひょうしにプップップとよくやります。先日、お風呂に入れたら最初は焦りながらプップ、ポコポコとオナラ、その後お風呂が気に入ったみたいでニコニコしながらプップ、ポコポコ。最後は何がいけなかったのか泣き出してわーわー泣きながらやはりオナラ。「うわーん」と泣いては「ブー(ポコポコ)」。「うわーん」「ブー(ポコポコ)」「うわーん」「ブー(ポコポコ)」を繰り返す裸の息子を抱えて、私は笑いが止まりませんでした(←ひどい)。

オムツをかえる度に大きくなっているように感じるこの頃。そういえば愛彩もそうだったなーと同じ時期の愛彩の写真と比べてみたのですが、怜のほうがさらに丸々としています。退院当時の写真を見ると別人のようです。何がたまらんかといいますと、ムチムチの脚とお尻です。太ももの裏側にまで段ができ、靴下の上からすねの肉がムニーっとはみでているあの感じ。お尻と太ももの境目がどれだかわからないほどに何重も段ができて、お風呂に入れる度にそのシワ部分に入っているホコリとか垢を取ってあげないといけません。「あ〜、このムチムチ感!写真には写らないのよね〜♡」とオムツを替えたり入浴させる度に触りまくって悦に入っております。


Friday 23 October 2015

マイ・ピーポー

愉快な発言を多発するお年頃の愛彩。ここ数ヶ月の語録を記録しておこうと思います。

愛彩には「マイ・ピーポー(My people)」なる者が多数いるようです。マイ・ピーポーとは果たしてどんな人々なのか...。愛彩の発言を元に推測したいと思います。
「そこにマイ・ピーポーがいるから気をつけて」と床を指差して言われることがあるので、マイ・ピーポーはかなり小さい人たちのようです。
「今日はお仕事でマイ・ピーポーに会うの」と言ってバッグを肩から下げて出かける(といっても家の中で違う部屋へ行く)ことがよくあるので、マイ・ピーポーは愛彩の部下的な存在かと思われます。
模様のきれいな折り紙で箱を作ってあげたら「これでマイ・ピーポーにプレゼントをあげるわ!ママ、マイ・ピーポーのために、ありがとう!」とミュージカル女優ばりに両手を胸に置いて感激されたので、マイ・ピーポーとは愛彩が面倒を見てあげている妹的な存在でもあるようです。
愛彩が遊びに夢中になっている時に「そろそろパジャマに着替えて寝ようね」などと言うと、「マイ・ピーポーの中には、眠くない人もいるの!」と言い返されるときがあるので、マイ・ピーポーは愛彩の心の代弁者でもあるみたいです。
っていうか、愛彩は何者のつもりなんだろう。ある時は多数の部下をかかえるやり手のキャリアウーマンであり、ある時は自国の民に慕われるクイーン...?愛彩の頭の中ではすげーかっこいい自分になっていることだけは想像できます。

「マイ・ピーポーを土曜日に連れていくの」と言うので、「土曜日にどこに行くの?」と聞いたら、もじもじして、「マイ・ピーポーを火曜日に連れて行くの」と言う愛彩。「え?土曜日じゃなくて火曜日なの?火曜日にどこに行くの?」と聞くともじもじして、「土曜日と火曜日に行くの...」とごにょごにょ。どうやら、火曜日とか土曜日とか「曜日」というものの仕組みをイマイチ理解しておらず、でも大人がいつも口にする単語なので、火曜日や土曜日というのは大人の人だけが行くかっこいい場所かなにかだと勘違いしていたもよう。愛彩の頭の中では、マイ・ピーポーを引率してオトナ〜な場所に行くステキな自分ができあがっていたようです。

先日すべり台が二種類ある公園に連れて行ったら、一つ目のすべり台ばっかりで遊ぶので「あっちのすべり台も試してみたら?」と言うと「お母さん、あっちのすべり台は動かないよ。」と答える愛彩。「そうなの?」と私。「うん、こっちのすべり台には電池が入ってるから」と言われました。すべり台って電池式だったのか...!

うさぎ模様の二足パックの靴下を買ってあげました。一足はうさぎが一兎だけ、もう一足のはうさぎが十兎くらい模様にしてある靴下で、うさぎがたくさんの靴下を見て、「Too many!(多すぎ!)」と爆笑していました(イマイチ笑いのツボがわからないのですが...)。それ以来、うさぎがたくさんのほうの靴下は「Too many socks(多すぎる靴下)」と呼ばれています。「Too many socksは洗濯中だよ」とか「今日はToo many socksをはこうね」などと家族みんなで使っています。

オーストラリアのソウルフード、ベジマイトがどうしてもちゃんと言えなくてジェミマイトになります。最初は直そうとしていたマーティーも、最近は「ジェミマイト」と言うようになってしまいました。マーティー、よその人にも間違って言いそうだな。

フィンガーはどうしてもシンガーに。
いちごはイキジョ。ぶどうはどぅぼー。イキジョとかどぅぼーのほうが言いにくそうなのにね。


Tuesday 6 October 2015

二児の母

二児の母になった私ですが、二児の面倒を同時に一人でみることはまだほとんどありません。というのも、愛彩はまだ週5で保育園に行っており夜と週末はマーティーがいるので、自分一人で二人ともみるのは、保育園にお迎えに行ってマーティーが帰って来るまでの2時間くらいなものです。11月からは毎日、娘と息子の面倒を一人でみることになるので今から恐ろしくてたまらない母です。

愛彩と怜の面倒を同時に一人でみたことがほとんどないとはいっても、やはりそういう機会がちょこちょこありまして、その度に激しくヘコんでいます。

それはお友達のウェディングパーティーでのことです。親しい家族だけでの式の後、夕方からパブでカジュアルなパーティーがあり、そこに家族四人で招待されました。マーティーは職場から直接会場に向かうことになったため、私が怜と愛彩の両方を会場まで連れて行くことになりました。いつも通り、怜をスリングで抱っこして愛彩をベビーカーでお迎えに行き、駅へと向かいました。怜はスヤスヤ、愛彩はご機嫌で順調です。ところが、電車に乗ったとたん怜がスリングの中でブボーっと周囲の人に音が聞こえるほどのウンチをしてしまい、その振動で起きてしまいました。でもギャン泣きではなくまだぐずる程度。あやすために立ち上がり、電車の中で上下左右にゆらゆら揺れる怪しい人に...。動きが止まるとぐずりだすので怪しい動きをキープしたまま、「なんとか会場まで泣かないで持ちこたえてね〜」と祈っておりました。

30分程度の電車での移動中はなんとか泣かずに持ちこたえてくれました。愛彩もずっといい子でいてくれて助かったのですが、怜のオムツが心配でたまりません。ロンドンはトイレがない駅のほうが多く、会場に着くまではオムツが代えられそうにありません。駅でマーティーと落ち会って、会場に徒歩で向かいました。途中で道に迷ってしまい、30分くらい経過したころから怜が泣き始めました。かれこれ1時間もウンチ爆弾を処理してないし、おっぱいもしばらくあげていないので気が気ではありません。

やっと会場に着いた私たち。兎にも角にもトイレー!と思いましたが、もちろん、新郎新婦に挨拶をしなくちゃなりません(←っていうかそれがメイン)。ただでさえ大音量のパブに怜の泣き声がシンクロします。
新婦:「来てくれてありがとう」
怜:「ギャー!」
私:「ええ?ごめんね。聞こえない。○○(新婦の名前)、女神様みたいにきれいよ〜!」
怜:「ギャー!」
新婦:「ええ?ごめんね。聞こえない」
とシロヤギさんとクロヤギさんのような不毛なやりとりをした後、身振り手振りで「ごめん、まずこの子のオムツを代えておっぱいやってくるね」と新婦に伝え、マーティーに、「ベビーカーと愛彩を見ててね」とお願いしてトイレにダッシュしました。

しかし、その後も新郎やお友達など挨拶しないといけない人がいっぱい。全く心のこもらない高速ハグとキスをしながら泣いている怜を指差し、ジェスチャーで「ごめん、とりあえずトイレ行って来る」的なことを伝えてトイレへ走りました。さて、やっとトイレの前にたどり着き、ふと後ろを見て私は仰天しました!愛彩がついて来ているではありませんか!「マーーーーティーーーー!!」と心の中で叫びましたが、とりあえず愛彩も一緒にトイレに連れて行きました。トイレの中に入ると、やはり愛彩が「おしっこー」といいます。泣き叫ぶ怜をスリングで抱っこしたまま個室に愛彩を連れて行き、大人用の大きなトイレに座らせました。「赤ちゃんをスリングで抱っこしたままでも、ちゃんと愛彩を抱っこしてトイレに座らせたりできるもんだな」という新鮮な発見がありました。

さて、仕切り直しでオムツかえ。小さなパブのせまいトイレ。オムツをかえる台は個室の外にあり、オムツ台を広げるとお化粧治しをしているレディーたちの邪魔になることこの上ありません。しかも私はオムツなどの赤ちゃんグッズを入れたリュックサックを背負っており、私自身もかなり「かさばる人」で、着飾った女性たちがギュウギュウしているなか、リュックがあたる度に「すみません、すみません」といいつつオムツを開けます。「あっちゃー」というほど特大のウンチ爆弾です。オムツだけじゃなく下着も代えないといけません。大量のウンチくんをおしりふきでふいていると、「うわーん!」という愛彩の泣き声が。退屈していた愛彩がドアで遊んでいて指を挟んだ模様。ウンチくんまみれの怜をオムツ台に置いてはいけないし、かといって愛彩が怪我していないか心配だし、数秒ほど固まりましたが、運良く愛彩はけがをしたわけではないようで、泣きながら私のほうへやってきました。「人間、本当にどうしていいかわかんないときは真っ白になるんだな」というこれまた新鮮な発見がありました。

リュックからいろんなものを取り出しながら怜のウンチくんと格闘しつつ、愛彩に「いたいのいたいの飛んで行け〜」をしてやり、レディーたちに「すみません、すみません」と、公園の鳩のように頭を前後左右にふり続けました。なんとか怜を着替えさせてオムツを代え、愛彩の手をひいてトイレを脱出。メーターを振り切るマックスのストレス度からようやく解放されましたが、お腹が空いている怜がまだギャン泣きしているのに変わりはありません。

「娘を見失った父親はいねぇ〜がぁ〜(←なまはげ風)」とパブの中マーティーを探します。するとそこには、仕立てのいいスーツをノーネクタイで着こなし、シャンペンを片手にさわやかな笑顔で談笑している私の夫の姿が♡って「なんじゃそりゃーーー!!」っと叫びそうでしたが、おめでたい席なのでグッとこらえ、マーティーに近づき肩をトントンと叩き、微笑みながら「今、この瞬間に手伝ってほしいんだけど。愛彩を見ててね♡」と言い残して、今度は怜におっぱいをあげるためにパブの裏にあるお庭へダッシュしました。私の口元は微笑んでいましたが、目は氷河期の氷河のように冷たかったに違いありません。お庭のすみのほうのイス座り、すばやく授乳。怜が泣き止んでしばしの静寂。「はぁ〜っ」と夜空を見上げながら、私は頭髪まで真っ白でした(←イメージです)。

マーティーの名誉のために付け加えますと、愛彩はマーティーが追っても追っても私についてくる習性があるのです。なので、ほんの一秒目を離したすきに逃げられたに違いありません。追っていこうにもベビーカーをみていなきゃいけないし、あれよあれよという間に新郎新婦やらお友達やらにわらわらと囲まれて、挨拶をしているうちに「あ〜れ〜」と見失ってしまったのだと思います。でも、かたや片手にシャンペン、かたやスリングとリュックを背負った白髪のなまはげですので、天国と地獄の図ですか?と憤っても仕方ないかと...。10分後、マーティーは私のためのソフトドリンクを持って、「大丈夫〜?」とお庭まで様子を見に来てくれました。氷河光線の効果は絶大です。

そんなこんなで30分に10歳くらい老けてしまったパーティーですが、本当に楽しくて、特に愛彩は何時間も誰よりも激しく踊りまくり、周囲の大人の笑いをかっていました。マーティーが「将来はパーティーアニマルになるかも...」と今からけっこう本気で心配しています。

いつも遅くても夜9時には寝る愛彩が、その日10時過ぎまで踊りまくり、家に帰るころになるとベビーカーに倒れ込むようにして眠りました。翌日、スッキリと目覚めた愛彩。朝一番のコメントが「昨日は楽しかった。またやろうね!」でした。末恐ろしいわ〜。


Friday 2 October 2015

比べられて...

マーティーが怜の顔をじっと見ながら、「怜は頭がいいほうになるかな。つまりさ、姉弟の中で愛彩はかわいいほう、怜は頭がいいほう、みたいになるかな」とのたまいました。

生後2ヶ月に満たない、おっぱい飲んでうんちして寝て、たまーに笑うようになった赤ん坊を捕まえて、本当に「この子は頭がいいかもしれない」と思っているわけではありません。

すこし話しがそれますが、英語圏の人が映画に行ったとして「映画どうだった?」という問いに「ポップコーンが美味しかったよ」という答えが返ってきたとします。その場合、本当にポップコーンが特別おいしかったというわけではありません。映画があまりにもつまらなかったため、ポップコーンしかほめるところがなかったよ、と暗に映画をけなしているわけです。

つまり、マーティーは間接的に「愛彩のほうがかわいかったよね」と言っているわけです。私は「それ、ひどいよ。親として言っちゃいかんよ(笑)」とマーティーをたしなめつつも、「怜のかわいさは写真には写らないタイプのものかもしれない」と心の中で思ったりしたのでした(←ひどい)。

こういうとき、怜が男の子でほんとうによかったと思うのです。兄弟姉妹ってぜったいに比べられますが、性別みたいに決定的なことがそもそも違っていると、「だって男の子/女の子だし」という、本人に責任のない拠り所があるからです。もし怜が女の子で「お姉ちゃんのほうがかわいい」なんて言おうものならシャレになりませんが、怜は「男の子なので」ファニーフェイスでも大丈夫かなと思います(←本当か?)。

親にとって、子供はみーんなかわいいものですが、それでも全員を全く同じように扱うことはできません。必然的に二人目は一人目ほどかまってあげられないですし。現代社会は「なるべく階級をなくそう。差別をなくそう」という風潮だと思いますが、伝統的な日本のように性別と年齢で兄弟姉妹間にはっきりとヒエラルキーがあるのは、実は便利だなとも思うのです。「お兄ちゃんのほうがたくさんお年玉をもらうのは、長男だからだ」みたいに自分の責任のないところに拠り所があると、「お兄ちゃんのほうがたくさんお年玉をもらうのは、私の成績が悪いからだ」とか「見た目が美しくないからだ」「愛されていないからだ」なんて、平等に扱ってもらえない理由が、自分の不出来さや親からの愛情の差にあると思う必要がないからです。現代の「みんな平等に」という風潮に反対する気持ちは毛頭ないのですが、「最初っから不平等」に救われることってあるよなぁと思う私です。

さて、暗に「かわいくないほう」にされてしまった怜ですが(←重ね重ねひどい)、最近はマーティーからも「かわいくなってきた」と言われるようになりました。笑顔が増えてきたからかもしれません。ママは妊娠中から赤ちゃんと一緒にいるし、生まれてもすぐに授乳で赤ちゃんと仲良くなれるので、すぐに「かわいい〜!」と思えるんじゃないかと思いますが、パパは授乳という機会がないので、赤ちゃんがいろいろ反応するようになってから初めて「かわいい」と心底思えるようになるのかなぁと思います。


Tuesday 29 September 2015

オムツが取れました。

保育園の先生に突然「明日からオムツじゃなくてパンツでいいですよ」と言われました。8月の下旬、愛彩が2歳10ヶ月くらいのころです。

私もマーティーも寝耳に水でびっくりしました。というのも、大のほうをトイレでしたのはまぐれで1回だけ。小のほうもトイレでしたりしなかったりで、怜が生まれてからは「オムツがいい!」と赤ちゃん返りをしていたので、「おお、そうかい、そうかい、オムツでいいよ」と放っておいたのです。ぶっちゃけオムツのほうが便利だし、怜が生まれてバタバタしているし、「面倒くさいからしばらくそのままでいいや〜」と思っていました。

愛彩とほぼ同い年で、保育園で一番仲良しのペネロペちゃんのご両親は、私やマーティーの10倍くらい子供の教育に熱心なご両親で(熱心ですがスパルタではありません)、トイレトレーニングも愛彩よりもずいぶん早くから始めていて、子供部屋の壁に専用のチャートを貼って、トイレに行けたらシールを貼ったり、おしっこやうんちの話を面白く聞かせたり、うんち君に名前を付けて擬人化したりと、ものすごくがんばっていました。トレーニングを始めた当初は、トイレだと怖いけどおまるだと大丈夫なペネロペちゃんのために、外出するときにもベビーカーにおまるを乗せて行くほど(携帯用じゃなくて普通のおまるですよ!)。一方私たちと言えば、外出するときは面倒くさいからパンツタイプのオムツ。シールはあげていましたが、ちゃんとチャートを作って部屋に貼ろうと思いつつも何もせずに数ヶ月が過ぎ...。シールは愛彩の部屋にランダムに貼られて錯乱していました。ペネロペちゃんのご両親に会ってトイレトレーニングの話しになるたび「私たち、ヤバいね。そろそろちゃんとトレーニングとかしなきゃね。」なんて夫婦で言い合いつつも、やはり何もしないという有様でした。

そんなペネロペちゃんはもちろん愛彩よりも早くオムツが取れましたが、そのペネロペちゃんの影響もあって、愛彩もトイレに行きたがるようになりました。また、保育園ではトイレで用を足すとシールを貼るちゃんとしたチャートがそれぞれの子供用に作ってあり、愛彩は保育園でトイレに行く度に、「おしっこしたよ〜!」とお友達や先生のみんなに言って回っていたそうです。

小のほうはトイレでできるようになっていましたが、大のほうは「オムツでする」と言い続けていた愛彩が、ある日突然、保育園のトイレで大をしたそうです。しかも二回(ですぎ?)。ということで、保育園の先生から「うんちのほうもトイレでできるようになったから、もうパンツでいいですよ」と言っていただいたのでした。翌日、私は替えのパンツやズボンを三回分もたせて愛彩を保育園に送りました。「昨日はまぐれだったかもしれないし、まだまだおもらしはするよね」と、かなり心配していたのですが...。その日以来、おもらしもなく今(9月末)にいたっています。

ひとえに、ペネロペちゃんのご両親と保育園のおかげですが、子供って時期が来れば、何でも自分でできるようになるんだなぁ〜とびっくりしました。今トイレトレーニングをしている最中のママ友パパ友には「保育園に行ってるんだったら、家では何にもしなくても大丈夫だよ。待ってたらそのうち自分でできるようになるよ」とうまい儲け話みたいに言いふらしています。



Tuesday 22 September 2015

おじさん

怜くん、家では私からは「おじさん」マーティーからは 「A man」と呼ばれております。

生まれたての赤ちゃんって、大人はみんな「わーかわいい♡」なんて言いますが、実はみんなおっさんみたいな顔してますよね?愛彩のときは、生まれたてのホヤホヤのころから「こんなかわいい赤ちゃんが、私から生まれたなんて信じられない!」と思い、「似てますね」なんて言われようものなら、「そんな!こんなかわいい子に私が似てるなんてあり得ません。んも〜、お上手!」と心の中で身悶えするほど、度のはずれた勘違い親バカだったのですが、怜のときは、「あ〜、かわいい。けど、おっさんやな」と冷静に思いました。顔立ちの違いというよりは、一人目と一人目の、親側のテンションの違いのせいかと思われます。

見れば見るほど美しいと思っていた愛彩のときと違い、怜の顔はブサイクなときほど萌えます。うんこをキバっている時の、無駄にキリッとした目にまんまるにふくらんだ鼻の穴。おならをする直前の片頬だけあげるヤクザな笑い。母乳で酔っぱらって「うぃーっ」と本当の酔っ払いのように赤ら顔で手の甲で口元を拭う仕草。おっぱいが飲みたくてしかたないのに、乳首と真逆の方向に鯉のように口をパクパクして焦りまくる顔。ある時はスターウォーズのヨーダのように、ある時は特大の大福のように、ある時はヤクザの親分のように、七変化する怜の顔を見ては、「かわいい〜!」と悶えています。

家で「おじさん」やら「A man」と呼ばれているもう一つの理由は、いつもトイレでキバっているおっさんのような声を出すことです。今はそうでもなくなりましたが、生後数週間は、夜寝ている間じゅう「うぅーえっ」「おぉぐぇっ」と年齢ににつかわしくない渋い声を出しておりました。新しく生まれた弟が大好きな愛彩が、勢い余って怜をぎゅーっとすると、「うぇぇぇ〜」とカエルの断末魔の叫びのような声を出すので、嬉々としている愛彩の顔を見ながら「頼むから弟を殺さんでくれよ」と思う母です。

そんなに泣くほうではありませんが、甘えん坊な気がします。おそらく、おっぱい大好きな甘えん坊で、姉の尻に敷かれてもニコニコとおとなしくしているような男の子になるのではないかなという予想です。女の子もかわいいけど、男の子もかわいいものですね。

おっぱい飲んでご満悦の大福顔。

Friday 18 September 2015

おねえさんになった愛彩

一番上の子供にとって、二人目の子が生まれるというのは、例えば夫に「新しい妻ができたんだ。もちろん、君のことは今まで通り愛しているけど、新しい妻とも一緒に暮らすことになったから、仲良くしてねー♪」と言われるくらい大ショックな事件らしい、と知り合いのママから聞いていました。

家に遊びに来ていたお客さんが帰る際に、上の子が下の子を「この子を持って帰ってくれない?」と頼んだり、親の気を引くために下の子をわざと叩いたりするのもよくあることだと聞いていました。

なので、愛彩は怜(二人目の名前が決まりました)を連れて帰ったらどんな反応するかな?と興味津々でした。また、出産のため二晩も家を空け、保育園の送り迎えもずっとマーティーにやってもらっていたので、私に対してもどんな反応するかな?とドキドキしつつ帰宅しました。「ただいま〜」と家に入ると愛彩が「ママ〜!」とニコニコ駆け出してお迎えしてくれて、生まれてホヤホヤの怜を見せると「かわいいねぇ〜」と舌足らずの日本語で言って怜の頭をそーっとなでなで。まさに理想的な展開。期待以上のポジティブな反応でした。

もともと、愛彩はお母さんごっこが大好きで、お気に入りのぬいぐるみには全員オムツをはかせ、「泣いてる〜」とか「お熱がでちゃった」などと言っては、抱っこしたり、おもちゃのベビーカーに乗せたりしてかいがいしくお世話をし、ことあるごとにオムツの取り替えを手伝わされていました。その一方、私が他の子供を抱っこすると自分も私によじ上って来る焼きもちな面もありました。なので、愛彩が怜が生まれてどんな反応をするか、本当に分かりませんでした。

怜との初対面は大成功でしたが、私のほうも気をつけて、愛彩が焼きもちを焼かないように、怜が泣いていたら愛彩に「怜くん、お腹がすいてるかもしれないから、おっぱいあげるね」と一度ことわってからおっぱいをあげたり、愛彩に絵本を読んでいる時などに怜が泣くと、怜にむかって「怜くん、おねえちゃんにご本を読んでるから、ちょっと待っててね」とわざと待たせたりしました(怜くん、ごめんよ〜。強く育ってね。)。

愛彩は初めての子供だったので、イギリスで奨励されている子育ての方法を真面目に守って、なるべく添い寝をしないようにしていましたが、愛彩との経験から添い寝するほうが最初は楽だと分かったので、怜とは生まれてからしばらくは添い寝することにしました。なので、ちゃんと自分の部屋で一人で寝ている愛彩が、朝起きて私たちの寝室に入って来ると、私が怜と一緒に寝ているのを目撃するわけです。毎回なんだか浮気現場を見られたようなうしろめたさがあります。

そんな浮気な自分も目撃されつつ、できる限り愛彩に気をかける時間を減らさないようにしようと心がけたのが多少は効果的だったのか、愛彩の世話好きな上のんきな性格のおかげか、最初の数日はウソのようにトラブルもなく過ぎました。でも私はどっかの時点でストレスや焼きもちが表面化するんじゃないかなとなんとなーく身構えていました。

その日は突然やってきました。夕ご飯の後おもちゃで遊んでいた愛彩にマーティーが「もうおねんねの時間だから歯磨きしよう」と言うと、いつものように「やだ〜」と言う愛彩。マーティーが「だめだよ、もう寝る時間だよ」とおもちゃを優しく取り上げようとすると、いきなりうわーっっっ!と号泣。その時なんのおもちゃで遊んでいたか思い出せませんが、とにかく「私はこのおもちゃで遊ぶ!」と叫んで地団駄をふみながらうぎゃーっっと耳をつんざく声で泣き叫ぶ愛彩。普段あまり泣いたりしないほうなので、「???」とびっくりしてパニクるマーティー。私に向かって「どどど、どうしよう?」的な視線を向けてきました。私は「ああ、やっとこの時がきたか!」と思い、愛彩を抱っこしにいきました。「よしよし、がんばったね。大変だったね。泣いていいよ〜」と言うと愛彩は私にしがみつくように抱き返して、おいおい泣きじゃくりました。「ママが二晩もいなくて寂しかったよね?お迎えもパパになって、赤ちゃんがお家に来て、いろいろ変わっちゃって、愛彩は大変だったよね?」と背中をさすりながら言うと、泣きながらうんうんとうなずきました。「愛彩、えらいね。おねえさんになるの大変だよね。がんばったね」と繰り返し言いながら背中をさすり続けました。自分の微妙な心の変化やストレスの原因なんて、大人でもきちんと理解したり、ましてや人に向かって上手に言葉で表現するのは困難です。まだ二歳の子供ができる芸当ではないので、大人がちゃんと見て気づいてあげないといけないよなぁと(気づいてあげられないことが多いのですが)背中をさすりながら思いました。ひとしきり泣いた後は、いつも通り歯磨きをしてパジャマに着替えてすんなり眠ってくれました。

愛彩が眠った後に、マーティーが「愛彩、なんであんなに泣いたんだろうね?どんだけあのおもちゃで遊びたかったんだろうね?」と真顔で言うので、「この男は本当に女心がわからんな」と自分の夫に呆れる私でした。

その後も、一晩中寝ていたのが夜中に起きるようになったり、おしっこがトイレでできるようになっていたのにオムツでするようになったりと、いわゆる赤ちゃん返りのような症状がちょこちょこありましたが、今では大分落ち着いてもとの愛彩に戻ってきました。

怜が泣いていると一目散に怜のところにいって頭をなで「じょぶよ。愛彩おるから(←大丈夫よ。愛彩がいるから、の意)」と日本語で言ったりします。ぶっちゃけ二歳児が、新生児のそばにいたところで大丈夫なことはひとつもないのですが、いいおねえさんになってくれたなぁとありがたく思います。