Sunday 1 December 2013

おっぱいが...

おっぱい、もういらないらしいです。何度か「どう?」と勧めてみましたが、「ノーサンキュー」と渋い顔で首を横にふられました。翌日も同じ結果だったので、やむなく「卒乳」しました。早いよ〜。まだ一歳になったばっかりよ?

もうふつうのご飯をモリモリ食べているので問題はないと思いますが、世界保健機関の奨励にならって二歳くらいになるまでは母乳をあげようと思っていたので、「え〜?もう?」とちょっと残念でした。卒乳や断乳がなかなかできなくて困るお母さんもたくさんいるらしいので、あっさり卒乳できてありがたいと思おう。たいっへんラッキーなことに、授乳は最初からスムーズで、授乳するのが大好きでした。そして何のトラブルもなくあっさり卒乳。やっぱりありがたいかも。

まだ一歳になったばかりだけど、なんだかすっかり大きくなっちゃったなぁーとちょっぴり寂しいのでした。


アイサ語

最近、愛彩はよくしゃべります。一人でも「むにゅむにゅむにゃー」とか「ぶじゅぶじゅびゅー」とかよくしゃべっていますが、私やマーティーや他の人に対しても、明らかに話しかけてきます。しかも、なんかめちゃめちゃ流ちょうです。でも、何言ってんのかよく分からないので、「へー、そうなんだね」と適当に相づちを打ったり、「昨日も良く寝たのね〜。」などとアイサ語を適当に解釈して会話のキャッチボールを図ります。

愛彩の最初の言葉は「バナナ」だと思ったことがありました。バナナを指差して「ナナ」と言ったので。マーティーと私は「おお、ついに言葉を発したか!」と感激したのですが、今度は私の顔を指して「ナナ」。本を指差して「ナナ」。っということで、まだ通じる言葉は発しておりません。

でも、ペラペラと理解できない言葉をずーっと発しております。んで、こちらがアイサ語を理解していなくても気にするふうでもなく、大人同士で盛り上がってるときなど、いきなり叫びだしたりして無理やり会話に入ってきます。かなり空気読めない人ですが、それが許される一歳児。

私はおしゃべりが好きで、特に女同士だと何時間もおしゃべりできます。そんなになにをしゃべるの?」と聞かれたりするのですが、なにをしゃべったかなんてほとんど覚えちゃおりません。なので、アイサ語の役割もそんなところなのかもしれないと思います。なにをしゃべってるかは問題ではなく、「ぅーたたたたたたたっ」でも「ぱっぱっぱびゅしゅー」でも、お互いに音を発して笑ったりうなずいたり、そういうやりとりを楽しむためにアイサ語を発しているのかもしれません。

英語と日本語の両方を耳にしている愛彩。それぞれの言語をどんなふうに捉えているんだろう、これからどんなふうに習得していくんだろうとかなり興味深いところです。

私は愛彩に日本語で話しかけるので、よく「バイリンガルに育てるの?いいわねー」と言われるんですが、ママが日本語で話しかけてさえいれば子供は日本語を習得するというわけでもないらしいです。特にナーサリーに早く行っている愛彩は英語に触れる機会のほうが圧倒的に多く、英語をペラペラと話し始める日もそんなに遠い未来ではありません。本人にしてみれば英語で話す方がよっぽど楽なので、日本語はだいたい理解できるけど話せないとか、少しは話せるけど面倒くさくて話したがらないとか、片親が日本人の子供にはよくあるらしいです。

愛彩には日本語がちゃんと話せて、読み書きもできるようになってほしいなぁーと思います。ママがプッシュするから仕方なく...ではなく、本当に日本文化に興味を持ってもらえたらなぁと思います。歌舞伎とか日本文学とかそういう大それたものじゃなくて、ドラえもんとかジブリ作品などの自分が夢中になったものや、今の日本の子供たちが夢中になっているマンガやアニメなど、普通の日本の子供が「面白い!」とハマってしまうものに、愛彩もハマってくれるとありがたいなと思っています。ママのがんばり次第かな。むむむ。