Tuesday 29 September 2015

オムツが取れました。

保育園の先生に突然「明日からオムツじゃなくてパンツでいいですよ」と言われました。8月の下旬、愛彩が2歳10ヶ月くらいのころです。

私もマーティーも寝耳に水でびっくりしました。というのも、大のほうをトイレでしたのはまぐれで1回だけ。小のほうもトイレでしたりしなかったりで、怜が生まれてからは「オムツがいい!」と赤ちゃん返りをしていたので、「おお、そうかい、そうかい、オムツでいいよ」と放っておいたのです。ぶっちゃけオムツのほうが便利だし、怜が生まれてバタバタしているし、「面倒くさいからしばらくそのままでいいや〜」と思っていました。

愛彩とほぼ同い年で、保育園で一番仲良しのペネロペちゃんのご両親は、私やマーティーの10倍くらい子供の教育に熱心なご両親で(熱心ですがスパルタではありません)、トイレトレーニングも愛彩よりもずいぶん早くから始めていて、子供部屋の壁に専用のチャートを貼って、トイレに行けたらシールを貼ったり、おしっこやうんちの話を面白く聞かせたり、うんち君に名前を付けて擬人化したりと、ものすごくがんばっていました。トレーニングを始めた当初は、トイレだと怖いけどおまるだと大丈夫なペネロペちゃんのために、外出するときにもベビーカーにおまるを乗せて行くほど(携帯用じゃなくて普通のおまるですよ!)。一方私たちと言えば、外出するときは面倒くさいからパンツタイプのオムツ。シールはあげていましたが、ちゃんとチャートを作って部屋に貼ろうと思いつつも何もせずに数ヶ月が過ぎ...。シールは愛彩の部屋にランダムに貼られて錯乱していました。ペネロペちゃんのご両親に会ってトイレトレーニングの話しになるたび「私たち、ヤバいね。そろそろちゃんとトレーニングとかしなきゃね。」なんて夫婦で言い合いつつも、やはり何もしないという有様でした。

そんなペネロペちゃんはもちろん愛彩よりも早くオムツが取れましたが、そのペネロペちゃんの影響もあって、愛彩もトイレに行きたがるようになりました。また、保育園ではトイレで用を足すとシールを貼るちゃんとしたチャートがそれぞれの子供用に作ってあり、愛彩は保育園でトイレに行く度に、「おしっこしたよ〜!」とお友達や先生のみんなに言って回っていたそうです。

小のほうはトイレでできるようになっていましたが、大のほうは「オムツでする」と言い続けていた愛彩が、ある日突然、保育園のトイレで大をしたそうです。しかも二回(ですぎ?)。ということで、保育園の先生から「うんちのほうもトイレでできるようになったから、もうパンツでいいですよ」と言っていただいたのでした。翌日、私は替えのパンツやズボンを三回分もたせて愛彩を保育園に送りました。「昨日はまぐれだったかもしれないし、まだまだおもらしはするよね」と、かなり心配していたのですが...。その日以来、おもらしもなく今(9月末)にいたっています。

ひとえに、ペネロペちゃんのご両親と保育園のおかげですが、子供って時期が来れば、何でも自分でできるようになるんだなぁ〜とびっくりしました。今トイレトレーニングをしている最中のママ友パパ友には「保育園に行ってるんだったら、家では何にもしなくても大丈夫だよ。待ってたらそのうち自分でできるようになるよ」とうまい儲け話みたいに言いふらしています。



Tuesday 22 September 2015

おじさん

怜くん、家では私からは「おじさん」マーティーからは 「A man」と呼ばれております。

生まれたての赤ちゃんって、大人はみんな「わーかわいい♡」なんて言いますが、実はみんなおっさんみたいな顔してますよね?愛彩のときは、生まれたてのホヤホヤのころから「こんなかわいい赤ちゃんが、私から生まれたなんて信じられない!」と思い、「似てますね」なんて言われようものなら、「そんな!こんなかわいい子に私が似てるなんてあり得ません。んも〜、お上手!」と心の中で身悶えするほど、度のはずれた勘違い親バカだったのですが、怜のときは、「あ〜、かわいい。けど、おっさんやな」と冷静に思いました。顔立ちの違いというよりは、一人目と一人目の、親側のテンションの違いのせいかと思われます。

見れば見るほど美しいと思っていた愛彩のときと違い、怜の顔はブサイクなときほど萌えます。うんこをキバっている時の、無駄にキリッとした目にまんまるにふくらんだ鼻の穴。おならをする直前の片頬だけあげるヤクザな笑い。母乳で酔っぱらって「うぃーっ」と本当の酔っ払いのように赤ら顔で手の甲で口元を拭う仕草。おっぱいが飲みたくてしかたないのに、乳首と真逆の方向に鯉のように口をパクパクして焦りまくる顔。ある時はスターウォーズのヨーダのように、ある時は特大の大福のように、ある時はヤクザの親分のように、七変化する怜の顔を見ては、「かわいい〜!」と悶えています。

家で「おじさん」やら「A man」と呼ばれているもう一つの理由は、いつもトイレでキバっているおっさんのような声を出すことです。今はそうでもなくなりましたが、生後数週間は、夜寝ている間じゅう「うぅーえっ」「おぉぐぇっ」と年齢ににつかわしくない渋い声を出しておりました。新しく生まれた弟が大好きな愛彩が、勢い余って怜をぎゅーっとすると、「うぇぇぇ〜」とカエルの断末魔の叫びのような声を出すので、嬉々としている愛彩の顔を見ながら「頼むから弟を殺さんでくれよ」と思う母です。

そんなに泣くほうではありませんが、甘えん坊な気がします。おそらく、おっぱい大好きな甘えん坊で、姉の尻に敷かれてもニコニコとおとなしくしているような男の子になるのではないかなという予想です。女の子もかわいいけど、男の子もかわいいものですね。

おっぱい飲んでご満悦の大福顔。

Friday 18 September 2015

おねえさんになった愛彩

一番上の子供にとって、二人目の子が生まれるというのは、例えば夫に「新しい妻ができたんだ。もちろん、君のことは今まで通り愛しているけど、新しい妻とも一緒に暮らすことになったから、仲良くしてねー♪」と言われるくらい大ショックな事件らしい、と知り合いのママから聞いていました。

家に遊びに来ていたお客さんが帰る際に、上の子が下の子を「この子を持って帰ってくれない?」と頼んだり、親の気を引くために下の子をわざと叩いたりするのもよくあることだと聞いていました。

なので、愛彩は怜(二人目の名前が決まりました)を連れて帰ったらどんな反応するかな?と興味津々でした。また、出産のため二晩も家を空け、保育園の送り迎えもずっとマーティーにやってもらっていたので、私に対してもどんな反応するかな?とドキドキしつつ帰宅しました。「ただいま〜」と家に入ると愛彩が「ママ〜!」とニコニコ駆け出してお迎えしてくれて、生まれてホヤホヤの怜を見せると「かわいいねぇ〜」と舌足らずの日本語で言って怜の頭をそーっとなでなで。まさに理想的な展開。期待以上のポジティブな反応でした。

もともと、愛彩はお母さんごっこが大好きで、お気に入りのぬいぐるみには全員オムツをはかせ、「泣いてる〜」とか「お熱がでちゃった」などと言っては、抱っこしたり、おもちゃのベビーカーに乗せたりしてかいがいしくお世話をし、ことあるごとにオムツの取り替えを手伝わされていました。その一方、私が他の子供を抱っこすると自分も私によじ上って来る焼きもちな面もありました。なので、愛彩が怜が生まれてどんな反応をするか、本当に分かりませんでした。

怜との初対面は大成功でしたが、私のほうも気をつけて、愛彩が焼きもちを焼かないように、怜が泣いていたら愛彩に「怜くん、お腹がすいてるかもしれないから、おっぱいあげるね」と一度ことわってからおっぱいをあげたり、愛彩に絵本を読んでいる時などに怜が泣くと、怜にむかって「怜くん、おねえちゃんにご本を読んでるから、ちょっと待っててね」とわざと待たせたりしました(怜くん、ごめんよ〜。強く育ってね。)。

愛彩は初めての子供だったので、イギリスで奨励されている子育ての方法を真面目に守って、なるべく添い寝をしないようにしていましたが、愛彩との経験から添い寝するほうが最初は楽だと分かったので、怜とは生まれてからしばらくは添い寝することにしました。なので、ちゃんと自分の部屋で一人で寝ている愛彩が、朝起きて私たちの寝室に入って来ると、私が怜と一緒に寝ているのを目撃するわけです。毎回なんだか浮気現場を見られたようなうしろめたさがあります。

そんな浮気な自分も目撃されつつ、できる限り愛彩に気をかける時間を減らさないようにしようと心がけたのが多少は効果的だったのか、愛彩の世話好きな上のんきな性格のおかげか、最初の数日はウソのようにトラブルもなく過ぎました。でも私はどっかの時点でストレスや焼きもちが表面化するんじゃないかなとなんとなーく身構えていました。

その日は突然やってきました。夕ご飯の後おもちゃで遊んでいた愛彩にマーティーが「もうおねんねの時間だから歯磨きしよう」と言うと、いつものように「やだ〜」と言う愛彩。マーティーが「だめだよ、もう寝る時間だよ」とおもちゃを優しく取り上げようとすると、いきなりうわーっっっ!と号泣。その時なんのおもちゃで遊んでいたか思い出せませんが、とにかく「私はこのおもちゃで遊ぶ!」と叫んで地団駄をふみながらうぎゃーっっと耳をつんざく声で泣き叫ぶ愛彩。普段あまり泣いたりしないほうなので、「???」とびっくりしてパニクるマーティー。私に向かって「どどど、どうしよう?」的な視線を向けてきました。私は「ああ、やっとこの時がきたか!」と思い、愛彩を抱っこしにいきました。「よしよし、がんばったね。大変だったね。泣いていいよ〜」と言うと愛彩は私にしがみつくように抱き返して、おいおい泣きじゃくりました。「ママが二晩もいなくて寂しかったよね?お迎えもパパになって、赤ちゃんがお家に来て、いろいろ変わっちゃって、愛彩は大変だったよね?」と背中をさすりながら言うと、泣きながらうんうんとうなずきました。「愛彩、えらいね。おねえさんになるの大変だよね。がんばったね」と繰り返し言いながら背中をさすり続けました。自分の微妙な心の変化やストレスの原因なんて、大人でもきちんと理解したり、ましてや人に向かって上手に言葉で表現するのは困難です。まだ二歳の子供ができる芸当ではないので、大人がちゃんと見て気づいてあげないといけないよなぁと(気づいてあげられないことが多いのですが)背中をさすりながら思いました。ひとしきり泣いた後は、いつも通り歯磨きをしてパジャマに着替えてすんなり眠ってくれました。

愛彩が眠った後に、マーティーが「愛彩、なんであんなに泣いたんだろうね?どんだけあのおもちゃで遊びたかったんだろうね?」と真顔で言うので、「この男は本当に女心がわからんな」と自分の夫に呆れる私でした。

その後も、一晩中寝ていたのが夜中に起きるようになったり、おしっこがトイレでできるようになっていたのにオムツでするようになったりと、いわゆる赤ちゃん返りのような症状がちょこちょこありましたが、今では大分落ち着いてもとの愛彩に戻ってきました。

怜が泣いていると一目散に怜のところにいって頭をなで「じょぶよ。愛彩おるから(←大丈夫よ。愛彩がいるから、の意)」と日本語で言ったりします。ぶっちゃけ二歳児が、新生児のそばにいたところで大丈夫なことはひとつもないのですが、いいおねえさんになってくれたなぁとありがたく思います。

Tuesday 8 September 2015

もっともっと大きくなったら

最近の愛彩の口癖は「When I'm bigger and bigger, (私がもっともっと大きくなったら)」です。いろいろできることが増えるたびに、「わー、おねえさんだね!(You are a big girl!)」とほめられる機会が多くなったからなのか、「大きくなる」ということがものすごく嬉しいことみたいです。

で、「私がもっともっと大きくなったら」の次に続くことが、しょーもないことばかり。例えば「マスタードを食べる」「お化粧をする」「ワインを飲む」「ドアノブが高すぎて届かないドアを開ける」などなど。でも、目をキラキラさせて「私がもっともっと大きくなったら、ワインを飲むんだ!」と言われると、「そうかいそうかい、好きなだけ飲みな〜」と笑ってしまいます。もっともっといろんなことができるんだよ。大志を抱けよ。と心の中でツッこんでいます。二歳児が想像できる「大人なこと」は限られているからしょうがないか。

ある日、マーティーのひげを指差して「ダディー、それなに?」と愛彩が聞いてきたので「ひげだよ」と答えると、愛彩は「私がもっともっと大きくなったら、おひげがほしいんだ」と言うので、マーティーは「うーん...。愛彩がもっともっともっと大きくなって、お婆さんになったら生えるかもね」と言っていました。愛彩の夢がかなうのを果たして私たちは見届けられるのかしらね〜。

スイカを食べてご満悦の図

Monday 7 September 2015

二人目が八月三日に生まれました

一人目(愛彩)は帝王切開だったので、二人目も帝王切開になるかと思いきや、二人目は自然分娩で生まれてきました。今のイギリスの国の方針では、一人目が帝王切開だったママもできるだけ二人目は自然分娩で生ませましょうという動きがあり(自然分娩の危険度の高いママは別ですが)、複数の助産師さんにお医者さん、麻酔師さんのチームの熱意に助けられて、20時間かかりましたが無事に自然分娩で二人目の子供を生むことができました。

日本ではあまり一般的でないらしい、エピジュールという麻酔を今回も打ってもらいました。普通の部分麻酔と違って、下半身の動きや感覚は保ったまま、痛みを飛躍的に軽減する夢のような麻酔で、個人的にはエピジュールなしのお産なんて考えられません。とはいっても、お産が全く無痛であったかというとそんなことはなく、エピちゃんを打ってもらうまではそれはそれは痛かったです。

陣痛が始まったのが午前10時ごろ。日曜日だったので、お友達とブランチをしている最中でした。ブランチをするカフェに行く電車の中で痛みは始まったのですが、予定日より二週間近くも前だったので「どうせ前駆陣痛だろう」と思っていました。ところが、楽しくブランチをしているうちにどんどん痛くなり、「でもやっぱり前駆陣痛だろう」と無視していましたが、そのうち「もしかしてヤバいかも?」という痛さになり、とりあえずタクシーで家に帰ることに。タクシーの中でも「前駆陣痛かも...っていうか本当の陣痛だったらやだな〜」という気持ちと、「ブランチの最中にタクシーで帰宅しといて本当の陣痛じゃかったらかっこ悪いなぁ」という変な見栄の気持ちの二つ(どっちの気持ちも不謹慎ですが)が胸中を去来しておりました。

産休に入る前までは、仕事とママ業で慌ただしい毎日。もちろん楽しいのですが、「自分の好きなことをする時間」がほとんどありません。でも産休に入ると、愛彩が保育園に行っている間はずーっと自分の好きなことができるわけです。が、そんな夢のような自由な時間も下の子が生まれるまで。ということで、予定日の前までに映画に行っとこ〜♪とかマッサージしに行こう♫とか、マーティーも有給をとって二人だけでデートしよ〜♡とか、ワクワクな計画が目白押しだったのです。なので「予定よりもあんまり早く生まれて来ないでくれ〜」と毎日祈るような気持ちだったのですが、そんな願いも空しく本当の陣痛はあっさりと予定日より随分早くやってきました。

愛彩のときの経験から、「どうせ早く病院に行き過ぎても家の帰されるし(←イギリスでは陣痛が始まってても子宮口がある程度開いてないと自宅に帰されます。)」とのんびりしていました。「陣痛と陣痛の間が3分になったら病院だったっけ?(ちなみに陣痛はずーっと続くわけではなく、波があります。痛い時と痛くない時を繰り返しますが、だんだん痛い時が長くなり、痛い波と波の間が短くなります)」とふたりで言い合いながら陣痛と陣痛の間を計ってみたら4分ほど。「まあどうせあと数時間は自宅にいたほうがいいよね」なんて言いつつ、マーティーがウェブサイトで確認したら「陣痛と陣痛の間が5分になったら病院に行きましょう」と書いてあるではありませんか!しかも、二人目以降は陣痛が始まったらすぐ出て来るというではないですか!知り合いのママは病院に行ってから14分で生まれたと言うし、今すぐに病院に行かなくちゃ!とワタワタ。速攻で近所の友人に連絡して愛彩を預かってもらうことに。病院に行く車の中で、愛彩に「ママは赤ちゃんが生まれるから、今日は○○くんのママとパパのお家に泊まってね。赤ちゃんが生まれたらすぐに迎えにいくからね」と説明しました。不安そうな、でも覚悟を決めた目でこっくりうなずいた愛彩の顔を今でもはっきりと思い出せます。たった二歳でも、子供ってこういうことはちゃんと分かるものなんだなぁと感心しました。

さて、病院に着いて助産師さんに検診してもらうと、「子宮口がもう4cm開いているから、(子宮口が10cm開くと生まれます)病院で待機してくださいね。もう少し開くように、散歩したり階段の上り下りをしてください。院内のカフェでご飯を食べてきてもいいですね。破水したり、出血したり、生まれそうになったらすぐに病棟に戻ってきてくださいね。」と言われました。

ということで、陣痛が3分おきにきている状態でカフェへ行くことに。これが第一子だったら「え?この状態で飯を食えと?!」とおったまげたと思います。この時点で陣痛は普通にしゃべっていられないほど痛かったのですが、二度目ですので「まあ、そうだろうね」とエレベーターではなく階段を使ってカフェへ向かいました。「このしゃべってられないくらいの痛さが何時間も続くのよ〜。その間は痛み止めももらえないし(状況によりますが)、子宮口がもっと開くか破水するまで待ってるしかないのよ〜ん」ということが、二度目にはもう分かっていますからね。で、この待っている間のシュールなことよ。カフェで普通にご飯を頼み、普通にテーブルに座り、普通にくだらないことをマーティーとしゃべります。陣痛の時はしゃべっていられないくらい痛いのですが、陣痛と陣痛の間は平気なので、
マーティー:「お産が終わって一番食べたいものってなに?」
私:「そうだな〜。米がいいかなぁ。それとも...」
と、普通に楽しく会話をしている最中にいきなり「うぅ」と低いうなり声をあげ、無言になって席を立つ私。陣痛が始まると、じっと座っているともっと痛いので、腰をさすりながらウロウロと歩き回ります。それをやはり無言で見守るマーティー。一分ほどすると私が席に戻り「やっぱり米がいいかな。おにぎりとか」と何事もなかったように会話が再会されます。それが3-4分ごとに繰り返されます。

そんなシュールな時間を小一時間過ごしたら陣痛がさらに強くなったので、病棟に戻りました。運悪くその日は通常よりずっとお産が多かったらしく、「助産師があと10分で検診に来ます。破水や出血があったらこのボタンを押してください」と言われた3時間後(!)に助産師さんがやっと登場。その間、マーティーが受付けに数回「助産師さんまだ?」と聞きにいってくれたのですが、「今、ちょうどお産が重なってて助産師さんがいないのよ〜」と言われ続けました。3時間後に助産師さんが検診し「わぁ、もう6cmも開いてるから、病室を変わりましょう」とワタワタと分娩室に入りました。

余談ですが、病室に入ってから、すぐにモニターをお腹に付けられ、赤ちゃんの心音と陣痛の強さを計っていました。陣痛の強さは0から100までの数値で表されるのですが、
私:「ああ〜、今のすっごい痛かった!80超えた?」
マーティー:「惜しい!78だったよ」
みたいなおバカなゲームをやっておりました。
助産師さんを待っている3時間の間にスコアは常にマックスの100になり、ゲームは中断となりました。

分娩室に入るなり、「エピジュールお願いします!」と速攻でお願いしましたが、これまたお約束通り、お産が重なっていて麻酔師さんがつかまりません。お医者さんの一人に「ごめんね。あと一時間くらいで麻酔師さんが来るから」言われ、「一時間も待ってたら生まれてしまうやんか〜!!エピなしであそこ切ったり縫ったりなんて絶対ヤダー!!」と心の中で強く思いました。そしてさらにお約束通り、「あと一時間で来る」はずだった麻酔師さんは他の緊急オペなんかが重なり、来るまでに4時間かかりました。「エピなしで生みたくない」という気持ちが届いたせいなのか、子宮口は6cmから開かなくなってしまい、希望通りエピジュールをしてもらいました。エピジュールは脊髄から打ってもらうのですが、赤ん坊が横腹を足で踏ん張っているせいで背骨が曲がっており、針がなかなか入りません。パニクる麻酔師さんが背中に針をさしながら「あ、しまった」なんて背後でつぶやいていて(「しまった」ってなに!?)と、かなりスリリングでした。

とにもかくにも無事にエピジュールを打ってもらい、効き始めたときの安堵感といったら!エピちゃんありがとう!麻酔師さんもありがとう!世界よありがとう!ていう感じでした。本当に痛いのが飛んで行くのですから、今世紀のイギリスで子供生めてよかった〜。その後もマックスで陣痛は続いていたのですが(でもエピちゃんのおかげで痛くない)、6cmからなかなか子宮口が開かず、助産師さんが人工的に破水してくれることに(先がギザギザ鍵型になっているプラスチックの細い棒みたいなものを子宮口から入れて赤ちゃんと羊水の入っている袋を破ります)。すると、羊水の中で赤ちゃんがウンチをしていることがわかりました。

お医者さんから「赤ちゃんがウンチをしているというのは、赤ちゃんがストレスを感じているサインなので、あんまり長く待てません。あと一時間して子宮口が全開しなかったら帝王切開にしましょう」と言われました。この時、マーティーも私も「帝王切開になるんだろうなぁ」と思っていました。が、一時間後に助産師さんが見てみたら子宮口が全開していました。

ここから先はマラソンの最後のトラックを走っている感じでした。エピジュールのおかげで痛みを感じないかわりに、「いきみたい」という感覚もないので、助産師さんがどうやっていきむのかを丁寧に教えてくれ、お医者さんが三人、助産師さんが一人、麻酔師さんが一人のあわせて五人が見守る中、「さぁ、いきんで〜!」と言われ、教えられた通りにやってみると、五人の医療関係者が「その調子よ!」とか「がんばれ〜」とかおのおの応援してくれました。五人の大人(うち2名は男性)が夢中で私の股間を見つめながら応援してくれる姿は、感動しましたがかなりシュールだと思いました。「おお〜、これが自然分娩のラストスパートか!」と感激しながら、がんばっていきみましたが、エピジュールの効果であまり感覚がなく、「本当に赤ちゃん出て来るのかな」とかなり懐疑的でした。なので一時間ほどいきんだ頃、助産師さんに「頭がでましたよ!」と言われたときは「ええ〜!まじで?」とびっくりしました。その後もう1回いきむとずるーっと赤ちゃんが出てきました。

愛彩のときは帝王切開だったので、赤ちゃんについている血などをきれいに洗ってから渡されましたが、今回はまだぬるっとしたままの赤ちゃんを渡されて、これまた「どひゃ~(←死語)」とびっくりしました。最初の印象は「タマ、でかい!」でした。渡されたときの角度もあったかと思いますが、赤ちゃんのタマって体の小ささに対して大きいんですね。生まれた我が子の第一印象が、視界いっぱいに見えるタマでした。男の子か女の子かをあえて調べないで出産したので、赤ちゃんの顔を見る前に「男の子だったか!」と確認できました。赤ちゃんを抱いて顔を見ているうちに、涙がぶわーっと出てきました。横ではマーティーも泣いていました。助産師さんや麻酔師さんがもらい泣きしていました。みんなが「よくがんばったね!」「おめでとう!」と何度も言ってくれました。私は生まれてきた赤ちゃんに方言で「ようがんばったね~。偉かったねぇ。」と泣きながら何度も言いました。愛彩の時も感動で涙しましたが、最後に医療関係者の方々も一丸となって「がんばれ、がんばれ」と応援してもらえたのは初めてで、フルマラソンを走りきった人(走りきったことないんですが)のような気分でした。