Monday 26 October 2015

いつもあせっている人

最近にや〜っと笑ったりするようになり母をキュンキュンさせている怜ですが、基本は挙動不審です。起きている時間のほとんど、手足をバタバタさせ息を切らしながら、何をそんなにあせっているんだろうと思うほど、あせっている動きをしています。よく鼻くそがつまるので、「はぁはぁ」という荒い息が、「フガッフゴッ」と豚の鳴き声のようになり、それに加えて例の「ぅうえぇぇ〜!ぉおえぇぇ〜!」というおっさん声を出すので、声だけ聞くとかなり不審な生き物に仕上がっております。

愛彩はもっとストレートに赤ちゃんっぽい動きと声をしていたので、「マーティー、この子の動き不審すぎない?大丈夫かな?発達障害とかじゃないよね?」などと言っては夫の失笑をかっています。

さらには、よくオナラをする怜。焦っているときも、笑っているときも、泣いているときも、なにかのひょうしにプップップとよくやります。先日、お風呂に入れたら最初は焦りながらプップ、ポコポコとオナラ、その後お風呂が気に入ったみたいでニコニコしながらプップ、ポコポコ。最後は何がいけなかったのか泣き出してわーわー泣きながらやはりオナラ。「うわーん」と泣いては「ブー(ポコポコ)」。「うわーん」「ブー(ポコポコ)」「うわーん」「ブー(ポコポコ)」を繰り返す裸の息子を抱えて、私は笑いが止まりませんでした(←ひどい)。

オムツをかえる度に大きくなっているように感じるこの頃。そういえば愛彩もそうだったなーと同じ時期の愛彩の写真と比べてみたのですが、怜のほうがさらに丸々としています。退院当時の写真を見ると別人のようです。何がたまらんかといいますと、ムチムチの脚とお尻です。太ももの裏側にまで段ができ、靴下の上からすねの肉がムニーっとはみでているあの感じ。お尻と太ももの境目がどれだかわからないほどに何重も段ができて、お風呂に入れる度にそのシワ部分に入っているホコリとか垢を取ってあげないといけません。「あ〜、このムチムチ感!写真には写らないのよね〜♡」とオムツを替えたり入浴させる度に触りまくって悦に入っております。


Friday 23 October 2015

マイ・ピーポー

愉快な発言を多発するお年頃の愛彩。ここ数ヶ月の語録を記録しておこうと思います。

愛彩には「マイ・ピーポー(My people)」なる者が多数いるようです。マイ・ピーポーとは果たしてどんな人々なのか...。愛彩の発言を元に推測したいと思います。
「そこにマイ・ピーポーがいるから気をつけて」と床を指差して言われることがあるので、マイ・ピーポーはかなり小さい人たちのようです。
「今日はお仕事でマイ・ピーポーに会うの」と言ってバッグを肩から下げて出かける(といっても家の中で違う部屋へ行く)ことがよくあるので、マイ・ピーポーは愛彩の部下的な存在かと思われます。
模様のきれいな折り紙で箱を作ってあげたら「これでマイ・ピーポーにプレゼントをあげるわ!ママ、マイ・ピーポーのために、ありがとう!」とミュージカル女優ばりに両手を胸に置いて感激されたので、マイ・ピーポーとは愛彩が面倒を見てあげている妹的な存在でもあるようです。
愛彩が遊びに夢中になっている時に「そろそろパジャマに着替えて寝ようね」などと言うと、「マイ・ピーポーの中には、眠くない人もいるの!」と言い返されるときがあるので、マイ・ピーポーは愛彩の心の代弁者でもあるみたいです。
っていうか、愛彩は何者のつもりなんだろう。ある時は多数の部下をかかえるやり手のキャリアウーマンであり、ある時は自国の民に慕われるクイーン...?愛彩の頭の中ではすげーかっこいい自分になっていることだけは想像できます。

「マイ・ピーポーを土曜日に連れていくの」と言うので、「土曜日にどこに行くの?」と聞いたら、もじもじして、「マイ・ピーポーを火曜日に連れて行くの」と言う愛彩。「え?土曜日じゃなくて火曜日なの?火曜日にどこに行くの?」と聞くともじもじして、「土曜日と火曜日に行くの...」とごにょごにょ。どうやら、火曜日とか土曜日とか「曜日」というものの仕組みをイマイチ理解しておらず、でも大人がいつも口にする単語なので、火曜日や土曜日というのは大人の人だけが行くかっこいい場所かなにかだと勘違いしていたもよう。愛彩の頭の中では、マイ・ピーポーを引率してオトナ〜な場所に行くステキな自分ができあがっていたようです。

先日すべり台が二種類ある公園に連れて行ったら、一つ目のすべり台ばっかりで遊ぶので「あっちのすべり台も試してみたら?」と言うと「お母さん、あっちのすべり台は動かないよ。」と答える愛彩。「そうなの?」と私。「うん、こっちのすべり台には電池が入ってるから」と言われました。すべり台って電池式だったのか...!

うさぎ模様の二足パックの靴下を買ってあげました。一足はうさぎが一兎だけ、もう一足のはうさぎが十兎くらい模様にしてある靴下で、うさぎがたくさんの靴下を見て、「Too many!(多すぎ!)」と爆笑していました(イマイチ笑いのツボがわからないのですが...)。それ以来、うさぎがたくさんのほうの靴下は「Too many socks(多すぎる靴下)」と呼ばれています。「Too many socksは洗濯中だよ」とか「今日はToo many socksをはこうね」などと家族みんなで使っています。

オーストラリアのソウルフード、ベジマイトがどうしてもちゃんと言えなくてジェミマイトになります。最初は直そうとしていたマーティーも、最近は「ジェミマイト」と言うようになってしまいました。マーティー、よその人にも間違って言いそうだな。

フィンガーはどうしてもシンガーに。
いちごはイキジョ。ぶどうはどぅぼー。イキジョとかどぅぼーのほうが言いにくそうなのにね。


Tuesday 6 October 2015

二児の母

二児の母になった私ですが、二児の面倒を同時に一人でみることはまだほとんどありません。というのも、愛彩はまだ週5で保育園に行っており夜と週末はマーティーがいるので、自分一人で二人ともみるのは、保育園にお迎えに行ってマーティーが帰って来るまでの2時間くらいなものです。11月からは毎日、娘と息子の面倒を一人でみることになるので今から恐ろしくてたまらない母です。

愛彩と怜の面倒を同時に一人でみたことがほとんどないとはいっても、やはりそういう機会がちょこちょこありまして、その度に激しくヘコんでいます。

それはお友達のウェディングパーティーでのことです。親しい家族だけでの式の後、夕方からパブでカジュアルなパーティーがあり、そこに家族四人で招待されました。マーティーは職場から直接会場に向かうことになったため、私が怜と愛彩の両方を会場まで連れて行くことになりました。いつも通り、怜をスリングで抱っこして愛彩をベビーカーでお迎えに行き、駅へと向かいました。怜はスヤスヤ、愛彩はご機嫌で順調です。ところが、電車に乗ったとたん怜がスリングの中でブボーっと周囲の人に音が聞こえるほどのウンチをしてしまい、その振動で起きてしまいました。でもギャン泣きではなくまだぐずる程度。あやすために立ち上がり、電車の中で上下左右にゆらゆら揺れる怪しい人に...。動きが止まるとぐずりだすので怪しい動きをキープしたまま、「なんとか会場まで泣かないで持ちこたえてね〜」と祈っておりました。

30分程度の電車での移動中はなんとか泣かずに持ちこたえてくれました。愛彩もずっといい子でいてくれて助かったのですが、怜のオムツが心配でたまりません。ロンドンはトイレがない駅のほうが多く、会場に着くまではオムツが代えられそうにありません。駅でマーティーと落ち会って、会場に徒歩で向かいました。途中で道に迷ってしまい、30分くらい経過したころから怜が泣き始めました。かれこれ1時間もウンチ爆弾を処理してないし、おっぱいもしばらくあげていないので気が気ではありません。

やっと会場に着いた私たち。兎にも角にもトイレー!と思いましたが、もちろん、新郎新婦に挨拶をしなくちゃなりません(←っていうかそれがメイン)。ただでさえ大音量のパブに怜の泣き声がシンクロします。
新婦:「来てくれてありがとう」
怜:「ギャー!」
私:「ええ?ごめんね。聞こえない。○○(新婦の名前)、女神様みたいにきれいよ〜!」
怜:「ギャー!」
新婦:「ええ?ごめんね。聞こえない」
とシロヤギさんとクロヤギさんのような不毛なやりとりをした後、身振り手振りで「ごめん、まずこの子のオムツを代えておっぱいやってくるね」と新婦に伝え、マーティーに、「ベビーカーと愛彩を見ててね」とお願いしてトイレにダッシュしました。

しかし、その後も新郎やお友達など挨拶しないといけない人がいっぱい。全く心のこもらない高速ハグとキスをしながら泣いている怜を指差し、ジェスチャーで「ごめん、とりあえずトイレ行って来る」的なことを伝えてトイレへ走りました。さて、やっとトイレの前にたどり着き、ふと後ろを見て私は仰天しました!愛彩がついて来ているではありませんか!「マーーーーティーーーー!!」と心の中で叫びましたが、とりあえず愛彩も一緒にトイレに連れて行きました。トイレの中に入ると、やはり愛彩が「おしっこー」といいます。泣き叫ぶ怜をスリングで抱っこしたまま個室に愛彩を連れて行き、大人用の大きなトイレに座らせました。「赤ちゃんをスリングで抱っこしたままでも、ちゃんと愛彩を抱っこしてトイレに座らせたりできるもんだな」という新鮮な発見がありました。

さて、仕切り直しでオムツかえ。小さなパブのせまいトイレ。オムツをかえる台は個室の外にあり、オムツ台を広げるとお化粧治しをしているレディーたちの邪魔になることこの上ありません。しかも私はオムツなどの赤ちゃんグッズを入れたリュックサックを背負っており、私自身もかなり「かさばる人」で、着飾った女性たちがギュウギュウしているなか、リュックがあたる度に「すみません、すみません」といいつつオムツを開けます。「あっちゃー」というほど特大のウンチ爆弾です。オムツだけじゃなく下着も代えないといけません。大量のウンチくんをおしりふきでふいていると、「うわーん!」という愛彩の泣き声が。退屈していた愛彩がドアで遊んでいて指を挟んだ模様。ウンチくんまみれの怜をオムツ台に置いてはいけないし、かといって愛彩が怪我していないか心配だし、数秒ほど固まりましたが、運良く愛彩はけがをしたわけではないようで、泣きながら私のほうへやってきました。「人間、本当にどうしていいかわかんないときは真っ白になるんだな」というこれまた新鮮な発見がありました。

リュックからいろんなものを取り出しながら怜のウンチくんと格闘しつつ、愛彩に「いたいのいたいの飛んで行け〜」をしてやり、レディーたちに「すみません、すみません」と、公園の鳩のように頭を前後左右にふり続けました。なんとか怜を着替えさせてオムツを代え、愛彩の手をひいてトイレを脱出。メーターを振り切るマックスのストレス度からようやく解放されましたが、お腹が空いている怜がまだギャン泣きしているのに変わりはありません。

「娘を見失った父親はいねぇ〜がぁ〜(←なまはげ風)」とパブの中マーティーを探します。するとそこには、仕立てのいいスーツをノーネクタイで着こなし、シャンペンを片手にさわやかな笑顔で談笑している私の夫の姿が♡って「なんじゃそりゃーーー!!」っと叫びそうでしたが、おめでたい席なのでグッとこらえ、マーティーに近づき肩をトントンと叩き、微笑みながら「今、この瞬間に手伝ってほしいんだけど。愛彩を見ててね♡」と言い残して、今度は怜におっぱいをあげるためにパブの裏にあるお庭へダッシュしました。私の口元は微笑んでいましたが、目は氷河期の氷河のように冷たかったに違いありません。お庭のすみのほうのイス座り、すばやく授乳。怜が泣き止んでしばしの静寂。「はぁ〜っ」と夜空を見上げながら、私は頭髪まで真っ白でした(←イメージです)。

マーティーの名誉のために付け加えますと、愛彩はマーティーが追っても追っても私についてくる習性があるのです。なので、ほんの一秒目を離したすきに逃げられたに違いありません。追っていこうにもベビーカーをみていなきゃいけないし、あれよあれよという間に新郎新婦やらお友達やらにわらわらと囲まれて、挨拶をしているうちに「あ〜れ〜」と見失ってしまったのだと思います。でも、かたや片手にシャンペン、かたやスリングとリュックを背負った白髪のなまはげですので、天国と地獄の図ですか?と憤っても仕方ないかと...。10分後、マーティーは私のためのソフトドリンクを持って、「大丈夫〜?」とお庭まで様子を見に来てくれました。氷河光線の効果は絶大です。

そんなこんなで30分に10歳くらい老けてしまったパーティーですが、本当に楽しくて、特に愛彩は何時間も誰よりも激しく踊りまくり、周囲の大人の笑いをかっていました。マーティーが「将来はパーティーアニマルになるかも...」と今からけっこう本気で心配しています。

いつも遅くても夜9時には寝る愛彩が、その日10時過ぎまで踊りまくり、家に帰るころになるとベビーカーに倒れ込むようにして眠りました。翌日、スッキリと目覚めた愛彩。朝一番のコメントが「昨日は楽しかった。またやろうね!」でした。末恐ろしいわ〜。


Friday 2 October 2015

比べられて...

マーティーが怜の顔をじっと見ながら、「怜は頭がいいほうになるかな。つまりさ、姉弟の中で愛彩はかわいいほう、怜は頭がいいほう、みたいになるかな」とのたまいました。

生後2ヶ月に満たない、おっぱい飲んでうんちして寝て、たまーに笑うようになった赤ん坊を捕まえて、本当に「この子は頭がいいかもしれない」と思っているわけではありません。

すこし話しがそれますが、英語圏の人が映画に行ったとして「映画どうだった?」という問いに「ポップコーンが美味しかったよ」という答えが返ってきたとします。その場合、本当にポップコーンが特別おいしかったというわけではありません。映画があまりにもつまらなかったため、ポップコーンしかほめるところがなかったよ、と暗に映画をけなしているわけです。

つまり、マーティーは間接的に「愛彩のほうがかわいかったよね」と言っているわけです。私は「それ、ひどいよ。親として言っちゃいかんよ(笑)」とマーティーをたしなめつつも、「怜のかわいさは写真には写らないタイプのものかもしれない」と心の中で思ったりしたのでした(←ひどい)。

こういうとき、怜が男の子でほんとうによかったと思うのです。兄弟姉妹ってぜったいに比べられますが、性別みたいに決定的なことがそもそも違っていると、「だって男の子/女の子だし」という、本人に責任のない拠り所があるからです。もし怜が女の子で「お姉ちゃんのほうがかわいい」なんて言おうものならシャレになりませんが、怜は「男の子なので」ファニーフェイスでも大丈夫かなと思います(←本当か?)。

親にとって、子供はみーんなかわいいものですが、それでも全員を全く同じように扱うことはできません。必然的に二人目は一人目ほどかまってあげられないですし。現代社会は「なるべく階級をなくそう。差別をなくそう」という風潮だと思いますが、伝統的な日本のように性別と年齢で兄弟姉妹間にはっきりとヒエラルキーがあるのは、実は便利だなとも思うのです。「お兄ちゃんのほうがたくさんお年玉をもらうのは、長男だからだ」みたいに自分の責任のないところに拠り所があると、「お兄ちゃんのほうがたくさんお年玉をもらうのは、私の成績が悪いからだ」とか「見た目が美しくないからだ」「愛されていないからだ」なんて、平等に扱ってもらえない理由が、自分の不出来さや親からの愛情の差にあると思う必要がないからです。現代の「みんな平等に」という風潮に反対する気持ちは毛頭ないのですが、「最初っから不平等」に救われることってあるよなぁと思う私です。

さて、暗に「かわいくないほう」にされてしまった怜ですが(←重ね重ねひどい)、最近はマーティーからも「かわいくなってきた」と言われるようになりました。笑顔が増えてきたからかもしれません。ママは妊娠中から赤ちゃんと一緒にいるし、生まれてもすぐに授乳で赤ちゃんと仲良くなれるので、すぐに「かわいい〜!」と思えるんじゃないかと思いますが、パパは授乳という機会がないので、赤ちゃんがいろいろ反応するようになってから初めて「かわいい」と心底思えるようになるのかなぁと思います。