Sunday 5 October 2014

テレビ

家にはテレビがありません。テレビ番組もネットで見れるので、パソコンがあればテレビはいらないかなと、あまり必要性を感じずにテレビを購入することなく月日がたち、気がつけばテレビない暦5年弱です。今でも不自由は感じません。

パソコンだと本当に見たいテレビ番組しか見ないので、付いてる番組をなんとなくダラダラ見てたら数時間たってしまった...なんてことがないのが利点です。ま、パソコンでもなんとなく無意味にネットサーフィンしてて軽く数時間ほど経つこともありますが。

で、愛彩にもパソコンで子ども番組を見せるているのですが、最初は数分で飽きていたテレビも年齢が上がるにつれてハマり始め、好きな番組だと1時間以上ぼーっと見れるようになってしまいました。特にハマったのがPeppa Pigというイギリス発祥のブタの女の子が主人公のアニメ。大人の私が見ても面白いと思う名作です。一話がたったの5分なので、それこそ子どもが長時間テレビを見過ぎないですむようにできているのですが、どこかの親切な誰かさんが、何十というエピソードを集めて1時間とか2時間のYouTubeビデオにしてくださっているのです...。

きっかけはフライト。長時間も狭いところにじっとしていなくてはならないは、一歳児にとっては至難の業なので、いろいろとおもちゃを用意していくのですが、何より時間がかせげるのが子ども番組やアニメ。ということで、Peppa Pigのエピソードを2時間分パソコンに落とし込んでトルコへ旅立ちました。トルコ滞在中も、大人がちょっと一息入れたいとか準備したいとかいうときに、Peppa Pigさえつけておけばパソコンの前でじーっとして動かないので、毎日重宝しました。

トルコから日常に戻っても家に帰るとすぐにテレビを見たがるようになり、しかも見てる時の顔にあまりにも生気がなくてモアイ像みたいに固まってしまうので、マーティーと私の間で「やっぱりこりゃいかんかなぁ〜」という雰囲気になりました。「テレビから学べることはたくさんある」「テレビでもなんでもなにかに夢中になるのはいいことだ」「一日の大半は違うことをして遊んでいるんだから一時間くらいテレビ見てもいいんじゃない?」「日本語のテレビを見せたら勉強になる」などいろいろ白熱して語り合いましたが、最終的に「やっぱりテレビを見させすぎるのはいかんよなぁ〜」という最初から二人とも思っていた結論に達しました。

というわけで、今は一日30分までということにしています。年齢が上がるにつれて長くなるかなとは思いますが。家事をするときなどにテレビを重宝していた私は「こりゃ実行に移すのは難しいぞ」と構えていましたが、実際に30分ルールを適応してみると意外と大丈夫でした。最初は泣いて抗議をしていた愛彩もすぐに慣れました。なにより、「いいのかなぁ」ともやもや罪の意識を感じながら見せていたころに比べて、ちゃんとルールを決めた後のほうが、「さあ、見ていいわよ〜!」と気持ちよく見せられるようになってよかったです。

今回のことで、「なんでテレビを見過ぎるのはいけないんだろう」といろいろ考えるきっかけになりました。故ナンシー関さんみたいに、テレビを見つくして生業にしていた人もいますが、才能のある少数派でしょう。夢中になったりハマったりするのが、「絵を描く」とか「バレエを踊る」とかなら悪いとは思わないのに、「テレビを見る」のがダメだと思う理由はなんだろうと自問します。テレビをただ見るだけならなんの努力もいらないからかなぁ。テレビなしでただぼーっとするというのはけっこう難しいものですが、テレビがあると、何時間でもぼーっとできてしまう。人生、ただぼーっとして過ごしたくない(過ごしてほしくない)と私もマーティーも思っているからかな。なんだか二人ともマジメだな。

なんだかこれを書いていて、さくらももこさんのお父さんのヒロシを思い出しました。さくらももこさんのエッセイによれば、ヒロシさんはそれこそいつもぼーっとテレビを見ていたそうで、しかも同じ番組を何回みても、まるで初めて見たように感心していたそうです。さくらさんいわく「全く何も学習していない」だそうでした。ヒロシさん、最高。

それで別にいいのだーという気もします。私自身、テレビを見る時間を親から制限された記憶はありませんが、大人になった今はあんまりテレビ見ないですし。でもとりあえず、マジメな新米ペアレンツはテレビは30分までと決めてみたのでした。今後どうなるかな?

バイリンガル教育

愛彩より半年ほど年上の男の子。お母さんが日本人でお父さんがドイツ人、住んでいるところはロンドンです。この前このご家族と一緒に飲茶を食べに行ったのですが、この男の子がお母さんには日本語でお父さんにはドイツ語で話しているのを目にしました。保育園では英語をしゃべるとのこと。

「すごーい!!」とママさんに言ったら、「このくらいの年の子どもは機会さえ与えればみんなできると思いますよ」とのこと。いや、そんなことはないっす。あなたの息子さんはすごいっす。

というのも、愛彩にはなるべく日本語オンリーで話しかけている私。本も日本語の本を読むし、テレビ番組(家にテレビがないのでパソコンですが)も日本語をなるべく見せるようにしています。なので、日本語は理解できるようですし、日本語のボキャブラリーも少しずつ増えてきましたが、私が日本語で話しかけてもたいてい英語で返事が返ってきます。

この前、亀の絵をみて「Turtle」と言っていたので、「そうだね。タートルだね。亀っていうんだよ。亀。言ってみて、亀」と言うと、「違うよママ、タートルだよ」と英語で訂正されました。ぐっすん。

それぞれ成長のスピードも違うし、得手不得手もあるし。まあこれはこれでいいのだ〜。

バイリンガル教育の道のりは長い…。


オーストラリアのじーちゃんばーちゃんとトルコへ

オーストラリアからはるばる孫を見にやってきたマーティーママのスーとパートナーのマークさん。オーストラリアからヨーロッパは飛行機で丸一日かかります。なので、オーストラリア人がヨーロッパへ行くときは、たいてい一ヶ月以上は滞在するのが普通です。そうじゃないと、飛行機に乗っている時間の割に合わないと思うのがオーストラリア人。今回のスーとマークも、まずロンドンで一週間、トルコで10日間、ロンドンに帰ってきて一週間、ポーランドで一週間弱、トータルまる一ヶ月という日程でロンドンまで来てくれました。

ロンドンでは、私たちのアパートからほぼお向かいにある物件をAir B&Bで見つけてくださってそこに滞在。まさにスープの冷めない距離で、狭いアパートにギュウギュウ詰めになるストレスもなく、もちろん愛彩を目に入れても痛くないほどかわいがってくださって、ほんっっとにありがたかったです。

トルコではイスタンブールに3泊、チラリというビーチ沿いの町で一週間過ごしました。イスタンブールはボスポラス海峡を挟んでアジア大陸とヨーロッパ大陸の二大陸にまたがる大都市で、ヨーロッパ大陸側も金角湾という大きな湾で東北と南西に分かれています。私たちはヨーロッパ大陸側にいたのですが、宿泊先はオサレなお店やレストランが多い東北側で、有名なモスクやバザールなどは西南側にあるので、毎日、金角湾を渡りました。湾の対岸側に見える街の姿に何堂もドーム型のモスクがあって、行きも帰りもとても美しい街だと思いました。地元の人も気さくで親切でマナーが良く、これほどの大都市で観光客もたくさんくるのにゴミがあんまり落ちていなかったのも印象的でした。

トルコの人は赤ちゃんが大好きなようで、愛彩はイスタンブールでもチラリでもスキあらばほっぺを(優しく)つねられていました。赤の他人の赤ちゃんのほっぺをいきなりつねるなんてびっくりですが、トルコでは当たり前なのか、愛彩があきらかに嫌がっていても一向にかまわず老若男女を問わずいろんな人が笑顔でつねっていました。グランドバザールでは、愛彩がトコトコ歩いている周りを、おじさんたちがワサワサと集まってきてほっぺたをつねろうと手を伸ばしていました。手が30本くらいどわ〜っと愛彩の顔の周りに集まってきたこともあって、写真に撮れなかったのが残念です。

イスタンブールは歴史ある文化も新しい文化も豊かで、食べ物もおいしいし、清潔だし、住んでみたい都市の一つですが、小さい子どもがいると大変だなーと思いました。歩道が狭くて坂が多く、道がゴトゴトしている上に常にあらゆる道路が工事中なので、ベビーカーを押すのが大変なのです。街を普通に歩いているうちにハーハーしてきたりして、「修行?」とツッコミ入れたくなるほど大変でした。(ほとんどマーティーに押してもらいましたが)

チラリではのんびりと、一日の大半をビーチで過ごしました。愛彩は海という言葉を覚えました。最初に海を見た時は大興奮で、キャーキャー言いながら泳いだり浅瀬で波と遊んだりしていました。自分一人で泳げると思いこんでいて、抱っこした腕から逃れようとするので、捕まえておくのが大変でした。

トルコはお肉もお魚も野菜もみんな美味しかったのですが、なによりパンとコーヒーのグレードが高かったです。トルコパンはもちろん、ピザやバゲットまで、パン生地を使ったものはなんでも「うまい!」と絶賛できるクオリティーでした。コーヒーもトルココーヒーだけじゃなくてカフェラテやエスプレッソも美味しかったです。

じーちゃんばーちゃんとの旅行、本当に楽しかったです。また行きたいな...で締めたいところですが、驚くほど準備のいいスーは、ロンドンに来る前からもうすでに来年の旅行を計画していました。来年の5月は同じメンバーでフランスのプロヴァンスでバカンスです。今から楽しみ〜!