Thursday 21 February 2013

仏教入門?

ヨガの先生に勧められて Buddhism for mothers(直訳すると「母親のための仏教」)という本を読み始めたのですが、これがオモシロイ。とっても役に立っています。仏教の教えってめっちゃ実用的だな!と感心しています。この本が実用書だからというのもあるのでしょうが。

日本の外に出ると、たまに「宗教はなんですか?」と聞かれることがあります。私はだいたい「宗教的はどこにも属してないけど、文化的には仏教と神道の影響を受けてます」と答えます。「実家には神棚と仏壇が両方あるよ」というと「へぇ〜!」とおもしろがられます。日本人の宗教に対するアプローチは国際的にけっこう珍しいようで、「お寺でも神社でもお参りするし、結婚式は教会でやる夫婦が多いし、クリスマスもお祝いするよ」というと、やはり「へぇ〜!!」とおもしろがられます。「なんで?」と聞かれるので、「ギリシャ神話にたくさん神様が登場するみたいに、日本にはたくさん神様がいたから、後から一人二人増えても、みんな歓迎しちゃったんじゃないかな」と適当に答えています。

日本人の宗教に対するリラックスしたアプローチが珍しがられるとは言っても、私の友達の多くはなんちゃってクリスチャンです。「結婚式とお葬式は教会でやるけど、最後にバイブルを開いたのは小学生のとき」みたいな。マーティーも民族的・文化的にはユダヤ人だけど、ユダヤ教徒ではありません。ベーコンが大好きなイスラム教徒にも会ったことあります。そういう人たちには、日本人の宗教に対するゆるめのアプローチは好意的に捉えられています。

実家に仏壇があるわりには、私はあまり仏教を習ったり興味を持って勉強したりすることなく育ちました。私にとっての仏教の記憶は、チーンと鳴らす楽器(鈴というそうです。名前がわからなくてググりました)、お線香の匂い、手を合わせたときのおごそかな気持ち、など漠然とした儀式的なもの。お経といえば、お通夜なんかで袈裟を着たお坊さんが、「なーむ、なーむ、なむむむむ〜、みゃ〜」とポクポク木魚を叩きながら唱える、意味のわからない呪文でした。

仏教についていろいろ教えてもらうようになったのは、むしろ日本を出てからです。ヨガのクラスで禅について教わったり、仏教徒のイタリア人から仏教について質問されて「ワタシ、ぶっきょー、わ〜かりまセーン」と言わなくちゃならなかったり。マーティーが仕事でストレスを溜めていたとき、ストレス解消に瞑想のクラスに行くようになって、瞑想について教えてもらったり。なので、私は仏教の教えについてのほとんどを英語で習ったわけです。そして、今も英語の本で仏教のことを学んでいるという人生の不思議。

この本によると、仏教の教えは日々実践して初めて意味があるそうなので、私も仏教の教えを少しずーつ実践し始めました。そんな私は仏教徒かと言われると、そうではありません。宗教として仏教を信じているわけではなくて、哲学としての仏教を試してみているだけです。じゃあ、宗教と哲学ってどう違うんだろう?と考えてみました。私の場合、「会員制か一見さんオッケーか」というところが一番の違いかなぁ。宗教は「脱退するのがすんごくうしろめたい会員制の団体」みたいなイメージがあります。◯◯教徒になってしまったら、一生そこに属しないといけないというプレッシャーがある気がして...。哲学として学んでいるだけなら、ちょっとかじっていつでもやめられるという気楽さが今の私にはありがたいのです。

ということで、今の私は「宗教的にはどこにも属してないけど、ユダヤの祭事もやるし、クリスマスもお祝いするし、実家には仏壇と神棚があって、哲学としての仏教を学んでいる人」です。不真面目って怒られるかな〜。

本に出てきた仏教の教えの一つに「今のこの瞬間を感じる」というものがあります。小さい子供がいると、時間刻みのスケジュールがたてられないし、まとまった時間というものが意図的にはなかなかとれません。朝起きた瞬間から「よし、まずマーティーが仕事に行く前にシャワーをさっと浴びて化粧して、愛彩が朝のお昼寝をしてる間に洗濯物を干して、あぁ、掃除機もかけとかなきゃ、メールの返信もしとかなきゃ、授乳の前に水分補給と自分の朝ご飯も食べなきゃ〜!」と頭の中がしないといけないことでいっぱい。「次は次は」と気がせいていて、何をやっていても「早く終わらせなきゃ」と思っている自分。そんなに焦んなきゃいけないほど沢山やらなくちゃいけないことがあるわけでもないのに。いつもせかせかしていて余裕がなく、予定外のことが起こるとキィーっ!とイラついている自分。朝ご飯も詰め込むようにしてちゃんと味わっていない自分。
そんな時に「今のこの瞬間を感じる」ように努めます。自分の呼吸を感じる。濡れた洗濯物の手触りを感じる。どこの筋肉を使っているか感じる。呼吸が浅いな〜、肩こってんな〜、顔がこわばってんな〜、と気づくと、深呼吸して顔をゆるめて体をリラックスさせることもできます。家事だってどうせやるならリラックスしてるんるんできるほうがいい。いつもよりも愛彩が早く起きてしまったら笑顔で遊んであげるほうがいい。いつもよりも長く寝てくれたら「いつ起きるんだろう」とそわそわしないで、ゆっくりお茶を飲んで「おいしいなぁ〜」とまったりしたい。「今のこの瞬間を感じる」ようにすると一日がずっと豊かになります。
が、これがけっこう難しい〜。もともと注意力散漫な性分なので、洗濯物を干している間に今日の天気が気になってパソコンにむかい、そしたらメールの返信してなかったのを思い出してメールの返信をし始めて、そしたらコーヒーテーブルが汚れていることに気づいて拭き始めて...、と気づくとどの仕事も途中でほったらかし状態になっていることもしばしば。本当の意味で「今」に集中しているときって1分もないかも。

そんな私に比べると愛彩のほうがよっぽどブッダに近いなと思います。今の月齢だとまだ時間軸を理解していないので、お腹が減ったらもう「お腹が減った〜!!減った、減った、減った〜!!」なのです。「もうすこし待ったらおっぱいがもらえる」なんてコンセプトはないのです。今お腹減ってるから今減ってる。以上!なのです。遊んでうれしいときは、今遊んでる、うれし〜!楽しい〜!今、めっちゃ楽しい〜!なのです。赤ちゃんって本当に「今」しか生きてないから。大人がみんな赤ちゃんだったら、世の中は機能しないですけど、赤ちゃんみたいに「今」を生きるってやっぱりいいなと思います。今日も「今のこの瞬間を感じる」練習をするぜ。


円空さんの仏像と愛彩の顔。似てる!?

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