Tuesday 12 March 2013

母の日

イギリスでは母の日は3月の第一日曜日です。今年は3月10日でした。生後4ヶ月の娘からまさかプレゼントをもらうなんて思いませんでしたが、うさぎちゃんのかわいい小皿をもらいました。マーティーいわく、彼はなにも関与していないそうです。ふふ。






ほんの9日前に赤ちゃんが生まれた友人カップル(サム&ケイト)に会いに行きました。ご近所さんで私たちのアパートから徒歩でほんの15分くらいのところに住んでいます。ケイトは妊娠39週間目というタイミングで足の骨を骨折してしまい、マーティーと私をはじめ、ご近所仲間みんなで心配していました。子供が生まれたら大変だろうからみんなで助け合おうね!と言い合っていました。

マーティーと私は先輩風をふかして、「最初の数週間は眠れないだろうし、ケイトが動けないとサムがまいってしまうかもしれないね。お掃除と料理くらいならできるから手伝いにいくよ。マーティーが仕事帰りによって、2時間くらいなら赤ちゃんの面倒をみたりできるし。息抜きになるよ」なんて言っていました。
ところが!出産のその時から今にいたるまで、二人の生活は一分一秒がバラ色のようなのです。私たちの手伝いなんてなーんにもいらないようでした。

まず、出産はどうだったか聞くと、48時間もかかったらしいです。ケイトは一種の自己催眠療法で痛みをコントロールしていたらしいのですが、「ペチジンでもエピジュールでも痛かったらなんでも打ってもらおうと思ってたんだけど、けっきょく笑気ガスだけだったよ。痛いのはもう忘れちゃった。ははは〜」と笑顔。丸二日もかかった出産だったのに、二人とも「よかったよ〜。すっごく感動した。他に言いようがない」と言います。痛かったり疲れたりしたことも全部ふくめて、ネガティブだったことなんてなにもなかったみたいに。この時点でええ〜!とびっくりな私。

出産後は?というと、赤ちゃんが良く眠ってくれて授乳も順調。二人ともよく眠れていて、赤ちゃんにメロメロで、毎日がただただ楽しくてしかたがない様子。
サムもケイトも産休中なのですが「仕事戻りたくな〜い。ずっとこのままの生活が送れるにはどうしたらいいか考案中。宝くじでも当たらないかなー」と言っています。サムはあんまり料理ができない男性だったけど、骨折したケイトのために喜々として家事全般をこなし、娘のオムツかえはサッカーの観戦よりも楽しそうです。ケイトもケイトでサムにラブラブ光線を始終放っていて、ふたりとも針でつついたらパーンと幸せで弾け飛んでしまいそうです。

私とマーティーなんて、お互いに対する怒りのあまり、沸騰した血が鼻からブーっと吹き出るんじゃないかと思ったことが何度もあったのに...!二人が私よりも先に子供を生んでたら参考にしたのになぁー。マーティーにも「サムを見習って!」と言えたのになぁ。いや、そしたらもっとケンカになってたかな(笑)。
なにより、二人が一分一秒を愛おしむように過ごしている姿に感銘を受けました。

出産前に「産後は大変だ」といろーんな人から言われていたのですが、そのおかげで心の準備ができていた反面、無意識に「大変じゃないといけない」と思いこんで、自ら大変さを作り出していた面もあったんじゃないかと思うのです。
また、私は出産ギリギリまで働いていたのですが、仕事がとても忙しくて毎日どうやって時間内に仕事をこなそうか、どうやって効率を上げようか、ということに常に頭を使っていました。産休に入って出産する前も「やったー!自分の時間がたくさん取れる。あれしてこれして。」と忙しく過ごしていました。
その調子で出産後もすぐにお友達を招待したり(しかも毎日毎晩)、ケーキなんて焼いちゃったりして、ちゃんと休養をとらず、ずーっとバタバタして過ごしました。

愛彩が3ヶ月になるころに、ハタと、「ベビーヨガもママ会も行きたくなかったら行かなくていいんだ。掃除も料理もお洗濯も一日くらいサボってもいいんだ。今日絶対やらないといけないことは、愛彩におっぱいをあげてオムツを代えてあげるだけ」ということに気づきました(遅!)。そしてケイトとサムの楽しそうな姿を見て、バカだったなぁー私!と心から思ったのです。あんなにがんばらなきゃよかった!なんであんなにバタバタとがんばってたんだろう。せっかくのんびりできたのに、もっと楽しめばよかった。そしたらマーティーにも愛彩にももっと優しくできたのになぁ。

「時は金なり」なんて言いますが、時は金よりもずっと大切なんじゃないかと思うのです。金は貯めておいて後で使ったりもできますが、時は常に変化していて、今という時間はもう戻ってきません。愛彩は毎朝起きて私を見るとニコーっと笑います。朝起きて新しい一日が始まったことが本当に心の底から嬉しいみたいです。もし愛彩が30年後に、毎朝、月曜日も、こんな顔をして起きていたら、愛彩の職業がなんでも、どんなに貧乏な暮らしをしていても、私は何も言うことはありません。よかったなーと思うだけです。そしてそれは自分自身にも言えます。向上心を持って日々新しいことに挑戦したり、継続してなにか技術を身につけたりするのは、毎日を充実させるという意味でもいいことだと思いますが、もし愛彩が将来のために今を犠牲にしたり、生産性を上げるために人生の楽しみを見失ったりしたら、それはとっても残念なことだと思うのです。そして、愛彩に願うことは、自分に対する願いでもあります。

8月にはパートタイムで仕事に戻る予定で、そうすると今よりも忙しくなります。専業主婦でいられる間は思いっきりのんびりと楽しんで、仕事に戻ってからも心の余裕は失わないようにしたいです。愛彩が大きくなっても、「お母さんは毎日楽しそう」と思ってくれるような自分だったらいいな。理想は「お母さんの人生って気楽で楽しそう」と思ってもらえることかな。がんばってないように見える人に憧れがある私です。


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