Thursday 30 January 2014

親の心子知らず

親の心子知らず
という諺がありますが、親になったらどれだけ親が苦労して自分を育ててくれたかわかり、親のありがたみが身にしみるものだよ、とよく言われます。あまり親孝行らしいことをしてきてない私にとって、以前は「うへ〜」とひれ伏したくなるような、罪悪感と義務感におそわれる諺でした。

親になってみて、意外なことに「親が子供に与えるもの」の大きさより「子供が親にあたえてくれるもの」の大きさのほうに私は目からウロコでした。(愛彩があまり手のかからない子だからかもしれませんが。)

私が妊娠したのは30歳を過ぎてからだったので、妊娠・出産・子育てについてはすっかり耳年増になっていて、妊娠中はつわりとか腰痛とかいろいろあって大変だとか、生むときは死ぬほど痛いとか、子供が生まれたらろくに眠れないなどなど、子供を生んで育てるためにかかる多大な苦労や面倒については盛りだくさん情報を得ていました。それでもほしいと思ったから赤ちゃんを生むことにしたのです。

生んでみて、「こんなに大変だったとは」と思うことも多々ありましたが、それより「なんだこりゃ〜!?」と思うくらい、赤ちゃんがかわいかったのです。思えば、妊娠したときから「なんだこりゃ〜!?」の連続でした。特につわりが終わってから6週間ほど続いた多幸感は忘れられません。ホルモンの仕業なのでしょうが、朝起きた瞬間から夜眠りに落ちる瞬間まで、一分一秒を歌って踊って過ごしたくなるほど、とにかく幸せ〜♡実際に朝から歌って踊ったりしていました。周りの人にとっては大変ウザい存在だったと思われます。腰痛、むくみ、睡眠不足、消化不良と全て経験しましたが、みな初めての経験だったので文句を言いながらも内心はしゃいでいました。出産の痛さも今となってはいいネタです。授乳のときは床を転げ回って「かわいい〜!」と叫びたくなるほどの興奮が訪れましたし、離乳食になったら食べ物を口に運んだというだけで「うちの子は天才だわ!」と感激しました。

完全にバカになりました。親ばかです。こんなにバカになるほど誰かを愛しいと思うことが、人生に何回あるものでしょうか。
愛彩が病気や怪我をしたら本当に代わってあげたいと思うし、自分の死よりも愛彩の死のほうがよほど怖いです。特に慈愛に満ちあふれているわけでもない凡人の私がそんな気持ちになれるなんて、自然の力はすごいと思います。しかも、その愛しい人と両思いなのです。ある著名人が「愛することは愛されることと同じかそれ以上に難しい。自分が愛しているからといって、相手に自分を愛するように求めるのは無理難題だ」みたいなことを書いていたのですが、私はひどく感心して「なるほどなぁ〜」と思ったのを覚えています。でも、子供がまだ小さいころは、「お母さん、お母さん」と自分を好きでいてくれます。それが赤ちゃんのサバイバル術ですから、そりゃもう、全力で愛してくれます。

掛け値なしに愛し愛されること。誰かに必要とされること。新しい経験。新しいお友達。すごいスピードで育っていく過程を見守る楽しみ。愛彩が生まれてからもらったものを思うと、「愛彩がいなかったときは、どうやってその隙間を埋めていたんだろう?」と疑問に思うほどです。

子供がおぎゃぁと生まれて大人になるまで育てるのは、時間もお金も労力もたくさんかかります。これからの長い道のりを思うと気が遠くなりそうですが、それを上回る幸せとか強さとか楽しみだとかを子供は与えてくれます。どんなに言葉を尽くしても、親にとって子供がどれほどかわいいかというのは、やっぱり親になってみないと分からないものなのかもしれません。そう思うと「親の心子知らず」という諺が少し好きになりました。

大人になった愛彩に望むのは、とにかく幸せであってほしいこと。でも願わくば、思春期を過ぎて忙しい大人になっても、仲良くしてほしいなぁと思います。ちっとも親孝行をしていない両親に「どこか美味しいご飯でも食べに連れて行ってあげようかな」なんて思う今日この頃です。


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